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日本人とトルコ人 (1/3) ≪社会≫ 埼玉 simple-hp.comスタッフ みずき 2013.9.09

●エルトゥールル号海難事故発生

1890年(明治23年)、当時欧州列強との不平等条約に苦しんでいたオスマン・トルコ帝国皇帝は、同様の立場にあった日本に親善使節団を派遣しました。

使節団のオスマン海軍少将一行は明治天皇に謁見した後、
東京に3か月間滞在。

9月になり、横浜港から帰国の途についたエルトゥールル号は
和歌山県の串本近海沖を航行中に台風に遭遇します。

猛烈な波浪と強風のために航行の自由を失い、岩礁に激突して沈没。

オスマン海軍少将以下587名が死亡し、生存者わずかに69名という
大海難事故となりました。

この事故に際し、串本の村人たちは不眠不休で生存者を救助し、更なる治療を受けるため生存者を神戸に移送し、明治天皇・皇后陛下も彼らのために侍医と看護婦を派遣。

そして翌10月に回復したトルコ人たちを、日本の船でイスタンブールに送り届けたという歴史が日本とトルコの間にはあります。

そして、その事故から95年の月日が経ちます。

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