文字を小さく文字を大きく
 
高校野球部の思い出 東京都 会社員 Yamamoto 2008.03.26

春の選抜高校野球が始まりました。

甲子園での熱戦の模様をテレビで見る度に、私は高校の野球部時代を思い出します。

私は、小3からリトルリーグに入り、中学も野球部、そして、進学した地元の高校でも、迷いなく野球部に入部しました。

目指すは小学生の時からの夢であった「甲子園」。

何が何でもレギュラーの座を勝ち取る為、私は今まで以上に練習に明け暮れました。

その野球部にいた、今でも忘れられない宮田先輩。

もともとは、左腕投手として1年生の時からマウンドに立っていたらしいのですが、途中で肩を壊してしまい、私が入部した時には、ただただ後輩をイジめる為だけに部に来ているような先輩でした。

「ヘタクソ」、「辞めちまえ」、「ヤル気あんのか」

そんな暴言は当たり前で、他校との練習試合でエラーをすれば、
「オマエみたいな奴は、試合に出すだけムダだな」と嫌味を言われたり、
「オマエ、○○校のスパイか!」などと怒鳴られたり。

私たち同期は、そうした言葉を言われば言われるほど、
「絶対に見返してやる」という思いが強くなり、練習に没頭したものでした。

その宮田先輩たちが高校を卒業した年の夏の大会、
私たちは地区予選を勝ち抜き、過去に先輩達が果たせなかった甲子園出場まで、
あと一勝というところまで来ました。

地区予選決勝当日の朝、監督は皆を部室に集めると、主将だった私の名前を呼び、全国の先輩たちから届いた、十数通の激励のファックスや電報を手渡しました。

「みんなに読んで聞かせてやれ」

私は、「はい」と返事をして、そこに書かれていた先輩の名前とメッセージを読み上げていきました。

知っている先輩の名前が出ると、「おー」とあがる歓声、そしてメッセージの後は、パチパチという拍手。

次々と読み進めると、そこに宮田先輩からのメッセージがありました。

「お前らなら、大丈夫だ。がんばれ!」とだけ書かれた短いメッセージ。
(何を今更…)私には、そのメッセージは、調子のいいメッセージにしか映りませんでした。

私は意図的にその電報を読み飛ばしました。
みんな宮田先輩のことを良く思っていませんでしたし、決勝を前に、皆に不愉快な気持ちになって欲しくはありませんでしたので。

しかし、「今、電報を一つ飛ばしただろう?どうしてだ?」と
監督には気づかれてしまいました。

私は、正直に言いました。

「飛ばしたのは宮田先輩からのメッセージです。うちらは、あの先輩にイジめられてきましたので、今、宮田先輩の名前を出すのは、皆の士気にも関わると思いますので。」

確かそんな風に監督に答えたと思います。

すると、監督が、
「誰のお陰で決勝まで来られたと思うんだ!」と大声で怒鳴りました。

「オマエら、一年の時から他校と練習試合してきたよな。あれは、宮田がオレに進言したんだよ。試合を経験しなければ、練習が練習だけで終わってしまうから、一年の時から他校と試合を組んでくれ」って。

知りませんでした。
みんな黙りこくって監督の話を聞いていました。

「宮田は肩壊して、投げられなくなったら、"後輩のサポーターに回ります"ってオレに宣言して、ずーっとオマエらに付きっ切りだったろ。一日も休まず部活に来て。お前らに罵声浴びせてきたこともオレは知っている。でもあの罵声があったから、お前ら必死に練習したんだろ。もし、宮田が「ドンマイ、ドンマイ」って言い続けてきたら、ここまでこれたと思うか?」

確かに、その通りでした。宮田先輩のヤジがあったから、必死になれたように思います。

「人の優しさってもんはな、その時には見えないものだってあるんだ。
やまもとっ!、いいから宮田からのメッセージを読め!」

そう怒鳴られ、私は読み上げました。

「お前らなら、大丈夫だ。がんばれ!」

みんな、そのメッセージで涙しました。

そして、迎えた決勝で私たちは勝ち、甲子園への切符を手に入れることが出来ました。

あの勝利は、宮田先輩が私たちにくれたものだと思っています。

----------------------------------------------------------
イメージ写真、文中の下線、カラー等の装飾、並びに関連サイトへのリンクは、
Simple-HP側にて設定させていただいております。
また、漢字変換、文書編集等もSimple-HPにてさせていただいております。
コラムに対するコメントもお待ちしております。 一つの『コラム』として選考・掲載
致します。---《コラム/コメントの投稿》