バレー部の思い出
バレー部の思い出 | ほのぼの | 静岡県 大学三年 S.KAWANO | 2008.03.18 |
卒業のシーズンになると、思い出す先生がいます。
生徒から「シマ爺」と呼ばれていた体育の先生で、私がいた女子バレー部の監督でした。
監督とは言っても、普段の練習は顧問の先生に任せきりで、現れるのは試合の時だけ。
生徒に対する「体罰」は 日常茶飯事で、
試合でサーブをミスれば、監督から「タイム!」の声が掛かり、レギュラー全員が怒鳴られて、ビンタされたこともあります(連帯責任というヤツです)。つまらない凡ミスをした時には、折り畳み椅子がコートに飛んできたことさえありました(試合中です…)。
監督の、そんな軍隊的なやり方が嫌いで、女子バレー部の誰もが監督のことが大嫌いでした。しかし、監督に直接抗議する勇気などはなく、何も変わらないまま時間だけが過ぎていきました。
そして、中3となり、中学時代の最後の大会が始まりました。
試合に負ければ、それでもう部活は全て終わり。
私たちは、順調に勝ち進み、県大会まであと2勝というところまで来ました。
ただ、準々決勝でエースが怪我をしてしまい、エース不在で私たちは準決勝に臨まなければなりませんでした。
第一セット、11-25。第ニセット、12-25。今でもスコアを覚えています。
最初から相手チームに押されっぱなしで、私たちも凡ミスを繰り返し、とても「準決勝」とは思えない試合内容でした。
いつもなら「タイム」が掛かり、私たちを怒鳴り散らすはずの監督は、何も言わずに、ただ黙って私たちを見ていました。
そして第三セット。監督は 足にテーピングを巻いたエースを出場させ、「悔いが残らない試合をしろ」と言って、私たちを送り出しました。
結果は16-25で完敗。
試合が終了後、監督の前に並んだ私たちは、いつも通り怒鳴り散らされることを覚悟しました。
すると、監督は「3年間みんなよくがんばった。」と言って、私たちみんなの頭をワシャワシャと撫でてくれたのです。
もうそれで、私たちは大泣き。
大嫌いだった監督が、大好きな監督に変わった瞬間でした。
そして、中学最後の夏が終わり、あの大会から半年後の卒業の日。
式が終わった後、元バレー部の仲間達と一緒に監督に挨拶に行きました。
私はそこで勇気を出して、どうして私たちにあんなに暴力(体罰?)を振るったのかを監督に聞きました。(もちろん、もう「抗議」という意味ではありません。)
その時初めて監督は種明かしをしてくれました。
部活の一番の目的は、"試合に勝つ"ことじゃなくて、"仲間を創る"こと。
一人悪役がいた方が、チームの結束が強くなる時もあるんだよなぁ。と
私はいい監督の元でバレーが出来て良かったと思っています。
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